43.



痛い、苦しい、気持ち悪い。怖い、怖い。
こんな目をした藤ヶ谷を見たことがない。
「…や、めっ…」
強い力で首を絞められ、北山は必死で藤ヶ谷の手を外そうと暴れた。
どうして急に。でも、いくら考えても「どうして」の答えは見つからなかった。
いつだってそうだ。ここのところずっと、藤ヶ谷の本心なんて北山には分からなかった。
きっと自分の発言で彼を怒らせてしまったのだろう、それだけは分かった。
そして不意に思い出す。
まだこんな場所に来る前の、普通を当たり前のように過ごしていた、あの日々のこと。
そのときも藤ヶ谷は北山に対して怒りを露わにしていた。
しかし北山にはその理由がやはり分からなかった。
けれども目の前の彼は自分に対して怒っている。
『ごめん』
だから謝った。
それは北山にとってとても自然な行為であった。
しかし、それは藤ヶ谷の怒りを助長させることになる。
『悪いって思ってないくせに謝るな!』
じゃあ一体どうしろと言うのか。
藤ヶ谷のその態度に辟易してしまって北山はそれ以上何か言葉を発することはなかった。
その出来事で最も意外だったのは、その後横尾に自分が窘められたことだった。
(彼のことだから、自分の知らない場所で藤ヶ谷を窘めているのかもしれないが)
『お前あの態度はねーよ』
何が、とは問えなかった。
そう言われても本当に何も分からない。
あのとき、自分は何かが欠落しているのだと北山は感じた。
「…ッ、ぐっ…ぅ…」
そんなことをぼんやりと考えていると、本当に苦しくなって生命の危機を北山は感じた。
二階堂だとか千賀だとか言う前に本当に自分自身が「やばい」と感じて北山は足を上げる。
そのまま藤ヶ谷の腹を下から蹴り、一瞬の隙をついて何とか北山は逃れた。
は、は、と忘れかけていた呼吸を肩でし、再びつかみかかってくる藤ヶ谷から走って逃げる。
「殺されてもいいんだろ!逃げんなっ!」
「だから、ちょっと待てって言ってんだろ!」
北山の方が足は速い。このまま走り続ければ逃げ切れるだろう。
しかし禁止エリアが広がったこの場所で、いつまでも走り続けるわけにはいかなかった。
案の定すぐに禁止エリアが目の前に迫る。北山は足を止めるしかない。
もう諦めるしか道はないのかと、覚悟を決めて北山は藤ヶ谷に向き直った。
急に立ち止まりこちらを向いた北山に動揺したのは藤ヶ谷だった。
「な、んだよッ…」
「こっち、もう立ち入れないからな」
「……」
「もういいよ。どうせ、俺は生き残るつもりなんて無いんだ」
駄目だと思えばすぐに諦めることだって出来る。
醜くもがいたところで、それは意味がない。もうそんな子どもでもない。
二階堂には少し申し訳ないとは思ったが、時間はある程度は稼げただろう。
もういい、と言わんばかりに北山は無防備に藤ヶ谷と対面する。
「…北山」
「何だよ」
殺されると決まれば、さっさとして欲しかった。
その態度が藤ヶ谷の全てを削げ落としてゆく。
「北山は…お前は、分かんない、んじゃないだな」
「…ん?」
「分かろうとしないんだよ」
ドキリと北山の心が揺れた。
それは自分に怒ってばかりの藤ヶ谷が、寂しそうな表情を向けたから。
「俺のこととか、どうでもいいんだろ。面倒なんだろ、全部」
「なっ…」
北山は一歩二歩と近づく藤ヶ谷に僅かに動揺して、けれども抵抗しようとは思わなかった。
「俺たち、いつから変わっちゃったんだろうな」
ドンッ、と音がすると同時に胸に痛みを覚えた。
禁止エリアになだれ込むように背面で北山は倒れてゆく。
北山は感じた。自分の身体が熱く焼けていく。
最期に眼前に広がるのは藤ヶ谷の表情。
それでも彼の気持ちは分からないままだった。
自分は分かろうとしないままだった。何もかも。
冷めた気持ちで見つめていれば、全部楽だったから。
「北山」
藤ヶ谷の呟く自分を呼ぶ声が小さく聞こえて、そして消えた。



 ぼくはいつから君にとって取るに足らない人間になってしまったのだろう。
 もしも戻れるのなら。もう一度戻れるのなら。 




「きたやま、」



北山が死んでいくのを眺めながら、程なくして藤ヶ谷も同じ場所へと自ら身体を投げ入れた。




*




(熱い…)
ベッドにぐったりと横たわる二階堂は時間が経つにつれて容態を悪化させていた。
翔央が手当をしてくれたと言っても所詮は素人の処置だ。加えて満足な薬はなかった。
千賀は心配そうに二階堂の身体に触れる、その手はあっけなく払われた。
「触んじゃねーよ…」
「でも、」
「いいから、俺のことなんかほっとけ」
「……」
ほっとけるわけないよ、そう静かにつぶやいて千賀は肩を落とし、せめてもと思いタオルを水に濡らしに行った。
余計なことすんじゃねぇよ、という二階堂の視線を感じて千賀は困ってしまう。
言えばいいのに。声を出すのも、もう辛いというのか。
やや足早に千賀は二階堂の場所へと戻る。タオルを渡そうとしたそのとき室内に耳をつくような不快な音が響き渡った。
「え、何?」
「…ッんだよ…」
具合の悪い二階堂にその音は苦痛らしく思い切り不機嫌な顔をさせる。
千賀は慌てて音の場所をきょろきょろと探す。
その音が、二階堂の首輪から発せられてると分かるまでそう時間は掛からなかった。
そしてそれが何を意味しているのか。先に気づいたのは二階堂の方であった。
「…ひろ、みつ…」
首輪の音。片方が死ねば、もう片方は生きられない。一緒にしか生きることが出来ない。
北山が死んだ。だから、だからそれはつまり。
「え、北山くん?」
「…ッ、…寄るな千賀!」
北山が死んだ、その事実に二階堂はぐっと涙を溢れさせそうになる。
北山が死んだ、つまり運命を共にする自分に今後起こることは、明白に一つだった。
千賀は戸惑う顔ばかりを二階堂に見せるだけ。
ギリ、と二階堂は歯を食いしばる。
「お前、ここから出ろ!遠くに行け!」
「なんで…?…まさか、二階堂ッ…」
「寄るなって言ってんだろ!!」
ハッとした表情見せ、全てを察した千賀が二階堂に更に近づく。
その千賀を二階堂は怒鳴りつける。
ダメだ、どうしたってダメだった。このままでは千賀が巻き込まれることは目に見えている。
そんなこと二階堂が好むわけがなかった。
早くどこかへ、と二階堂は千賀の身体を押しのける。
巻き込むわけにはいかない。死なせるわけにはいかない。
一緒に生きることは出来ない。だからって、一緒に死なせるわけにはいかない。
闇雲に千賀を追い払おうと二階堂は手を動かす。
「二階堂…っ…」
二階堂、二階堂。泣きそうな声で千賀は何度も二階堂の名前を呼ぶ。
「いいから、どっか行け!…ッ、お前なんかと一緒にいたくねーんだよ!だからっ、」
酷い言葉を投げつければ千賀は離れると思った。
何でもいいから離れて欲しかった。死ぬのは自分一人で十分だった。
しかし、自分を追い払う二階堂のその手を千賀はぎゅっと掴む。
「は、…お前何考えてんだよ」
「二階堂…」
「ッ離れろって言ってんだろ!お前なんか嫌いなんだよ!」
「もう良いんだ、二階堂」
もう良い、そう呟いて千賀は更に強く二階堂の手を握りしめる。
千賀は全ての覚悟を決めた。
きっと、こんな最期を望んでいた。
千賀が名古屋から上京してきた頃、あまり周囲に馴染むことが出来なかった。
食卓で「新しいお友達は出来たの」と過保護気味の母親が再三尋ねる言葉に、ずっと嘘をつかなくてはいけなかった。
そんな千賀の辛い日々に終止符を打ってくれたのが、紛れもない二階堂であった。
途中拗れてしまったけれど、でも千賀にとって二階堂はずっと特別な存在であった。
(だから…もういいんだ)
やがて目を潰すような眩しい光と、痛みを覚えるほどの熱が二人を包む。
「…ありがとう、二階堂」
ずっと、全部、有り難う。
泣くことだってない。何も悲しいことなんてないのだから。



 変わらない、ぼくたちは変わらない。
 もしも戻れるのなら、戻れたとしてもぼくたちは。
 ぼくたちは。
  


「二階堂、…おれたちは、ずっと――…、」


  
最後の千賀の言葉が果たして二階堂に聞こえたのかどうかは誰も知らない。
ただ、いつしか二階堂は千賀の手をしっかりと握り返していた。





【藤ヶ谷太輔・北山宏光・千賀健永・二階堂高嗣 死亡】





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