40.



「本当は、殺そうって思った」
「……」
ちゃぷんと音がして井戸から水が汲み上げられる。
井戸など見たことも使ったこともない二人で試行錯誤しながら何とか引っ張り上げた。
「千賀と二階堂ってペアじゃないんでしょ」
「…うん」
汲み上げられた水はゆらゆらと水面を揺らす。覗き込む太陽の顔が映りこむ。
「だから二人を殺したら、藤ヶ谷君も北山君も死ぬからラッキーって思った」
「…太陽…」
少し悲しげに呟く千賀に、本当に思ったんだよ、と太陽は呟き返した。
「でも、千賀が二階堂のこと守るところを見て、いいなぁって思った」
ペットボトルちょうだい、と太陽右手を差し出し、千賀は慌てて蓋を外してそれを太陽に手渡した。
「だって、二人一緒に生きられないのに…千賀が二階堂を守るってことは千賀が死ぬしかないのに」
「…、たい、ようっ…」
それは千賀があまり考えたくないことであった。
もちろん分かっていたことではあった。だからこそ分かりたくない事実であった。
千賀が彼の名前を呼んで続く言葉を制するが「だからいいなぁって思った」と太陽はもう一度呟いた。
きゅ、とペットボトルの蓋を閉めて一つを千賀に手渡す。
「俺、いっぱい人を殺したんだ」
「…え、…」
「そういうの千賀はどう思う?」
凛とした太陽の整った顔が千賀を少しだけ追い詰める。
――どう思うって言われても。
そんなことを急に言われても困ると、千賀は最初にそれを感じた。
目の前のいつも通りの彼がそんな物騒なことをしたなんて到底思えない。
もしかしたら嘘を言っているのかもしれない。自分をからかっているのかもしれない。試しているのかもしれない。
けれどもここまで生き残っているという事実があり、そんな冗談、と笑い飛ばすことは出来なかった。
でも、と千賀は思う。
それでも目の前にいる彼を恐れることは出来なかった。
「…太陽は、太陽だよ」
今はそれしか答えることが出来ない。何も見ていないだから何も知らない。
今の千賀は太陽のことを悪く言うことは出来ない。
「太陽は…俺の知ってる太陽だよ…ずっと、今も…」
きっと何か理由があるのだと千賀は思った。それは願望でもあった。
手渡されたペットボトルをぎゅっと握って太陽の目を強く見つめる。
太陽はそっと視線をそらし、それから少しだけ顔を上げて弱く笑った。
「…ありがとう、千賀」





「じゃあ、俺たち行くね」
二人が廃屋に戻れば、翔央が身支度を調えていた。
きっと翔央も分かっているのだろう。このままここで四人ではいられないことを。
それを千賀も太陽も察し、口数を増やすことなく準備を始めた。
「千賀、二階堂は大丈夫だから」
大丈夫だから、その後の言葉を翔央は紡がない。
目が覚めたとき二階堂が千賀を見てどういう行動に出るのか、それは分からない。
けれども千賀は少しだけの笑みを浮かべた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
律儀にお礼を口にする千賀に翔央は笑みを浮かべて先にその場所を後にした。
その太陽も翔央に続くように扉に手をかける。
「…千賀」
弱く手招きをした太陽に千賀は首を傾げながら歩み寄る。
「次、会ったら…多分俺は二人を殺しちゃうから」
囁くようなその言葉に驚いたように千賀は目を見開き太陽を見上げる。
「だから、ずっと、ばいばい」
もう二度と会えないと言い含めて、太陽と翔央はその場から姿を消した。





そして閉ざされた扉の内側で千賀は二階堂と二人きりになる。
もう二度と会うことのない二人の背中は最後まで見届けた。
未だ眠る二階堂は、穏やかな様子で眠っていた。
いつ目が覚めるのか分からない。ずっとこのまま覚まさないかもしれない。
(俺が目の前にいたら…二階堂はどうするんだろう)
一緒に生きることは出来ない、それが自分たちなのだ。
二階堂と一緒に生きることが出来るのは北山だけだ。
そして、千賀が一緒に生きることが出来るのは藤ヶ谷だけなのだ。
「――あっ…」
そうだ、藤ヶ谷君、と千賀は慌てて鞄の中を探る。
中から何やらを取り出しその画面に映し出された内容に「うわ」と思わず声を上げてしまった。
見たことのないような件数の着信履歴。
千賀と藤ヶ谷の武器は携帯電話であった。
携帯電話、と言うよりはトランシーバーのようなものかもしれない。
お互いにお互いの番号にしかかけることは出来ずそれ以外の番号は全て不通になってしまう。
こんなの何の役に立つんだよ、と藤ヶ谷が愚痴を零したがまさかこんなふうに使うときが来るなどと思わなかった。
千賀はどきどきとしながら着信履歴を探って電話をかけ直す。
ほぼ1コールで繋がる、その先。
『健永!!』
「ふじがや、くん…」
必死な藤ヶ谷の声に今の今まで彼の存在を思い出すことがほとんどなかった自分を千賀は恥じた。
こんなにも、声を荒げる藤ヶ谷の必死さに千賀はどう答えることも出来ない。
大丈夫なのか無事なのかと、藤ヶ谷は問いかけ千賀は何度も頷き返事をした。
安堵した藤ヶ谷の溜息が聞こえると千賀は居たたまれなくなる。
藤ヶ谷君は大丈夫ですか、と問いかけようとしたところでその声に重なるように藤ヶ谷の声が聞こえた。
『お前、いまどこにいるんだよっ』
「あ、えっと…」
千賀はがさがさと地図を広げ自分がいる場所を声に出そうとした。
しかし、それは瞬時に引っ込んでしまう。
ここにいるのは自分だけではない。眠る二階堂がいる。
どくどくと千賀の鼓動は早まった。藤ヶ谷は、彼は、もし二階堂に会ったらどうするだろう。
「藤ヶ谷君…」
『何だよ、早く言えって』
「…俺、一緒にいるんです…」
『え?』
「二階堂と…一緒にいる…」
二階堂と一緒にいる。一緒に生きることが出来ない彼と一緒にいる。
それは藤ヶ谷も同じ条件であった。
「…っ、…藤ヶ谷君に来て欲しい…です。二階堂怪我してるし…すごく不安…だけど…」
だけど、それとは違う一抹の不安が千賀を支配する。
「藤ヶ谷君、二階堂のこと…殺さない…?」
ぎゅっと胸がつまって押し潰されそうだった。
こんなこと本当は言いたくないのに、でも確認せずにはいられない。
殺さない、殺さないでくれるのか。同じ仲間で、以前のように、一緒にふざけ合って。
自分の知っている太陽だった。藤ヶ谷も二階堂も変わらず自分の知っている彼らなのだろうか。
『…バカだなぁ、健永』
やがて少しの沈黙の後で笑みをまじえた藤ヶ谷のそんな声が聞こえる。
その言葉に一瞬だけ千賀は安心した。
藤ヶ谷のことを少しでも疑った自分を恥ずかしく思った。
けれど、その千賀の安心した気持ちは直ぐに消えることになる。



『そんなの、殺すに決まってるだろ』



ぐらりと視界が揺れて目の前が真っ暗になるのを千賀は感じた。
まるで自分が殺される宣告をされたかのように、ぐっと胸の奥が鈍く痛んだ。



千賀の知る「彼」はもうどこにもいなかった。



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