39.



わずかな崖の上から落とされた千賀は、目の前に広がった光景にガンガンと頭を打たれるような衝撃を覚えた。
血だらけの二階堂が目の前に倒れている。
喉も手も震えて、身体が強張った。
そして今までに味わったことの無い後悔の念を千賀は抱いた。
こんなに後悔するのなら、何故あのとき二階堂を選ばなかったのか。
こんなに後悔するなんて、思わなかった。自分の心が見えていなかった。
どうしよう。二階堂がこのまま、ずっと目を覚まさなかったら、自分はきっと正気なんかではいられない。
触れることをためらったのは、千賀が自分の最悪の想像を受け止める強さが無かったから。
もしかして、二階堂は、もう。
「…っ、…」
「――二階堂ッ!」
ひっそりと静かに身を隠すようにしていなければいけないと理解していたのに。
そんな声を上げてはいけないと分かっていてずっと守ってきたというのに。
わずかに声をあげ身じろぎをする二階堂を千賀は捉えると、声を上げて駆け寄った。
「二階堂、二階堂ッ!」
「…、…」
二階堂の横に膝をつき千賀は泣き出しそうな声を発しながら、彼の身体を揺さぶる。
ぬるっとした血の感触に千賀はドキリと心臓を震わせたが、妙に冷静な気持ちになれた。
新しい血の感触。まだ、傷を負ってからそんなに時間が経っていない。
まだ二階堂は生きている。でもこのままだったら死んでしまうかもしれない。
今ここにいるのは自分だけだ。救えるのは、自分だけなのだ。
誰も助けてなんかくれない、一人で決断し、一人で全てをやらなければいけない。
まず溢れる血を止めなくてはと、千賀は鞄の中にあったタオルと自分の羽織っていたシャツを裂いて二階堂の傷口を塞いだ。
でもここから移動しなければ、誰かに遭遇でもしたらお終いだ。
「…にか、…」
やんわりと千賀が二階堂の肩を揺らしても、眉を寄せるだけで起きることの無い二階堂。
千賀の方が体格は良いが、身長だけを見れば二階堂の方が大きい。
まして気を失っている状態で動かない二階堂を持ち上げて運べるほど、さすがの千賀にもそんな力は無かった。
どうしよう、こんな道端でずっといるなどそれこそ自殺行為だ。
どうしようどうしよう。
誰も、助けてくれない。
「…千賀?」
不意に背後から声をかけられて千賀は肩を揺らし、咄嗟に二階堂の身体を庇うように腕の中に隠した。
どくどくと心臓が五月蝿く鳴り響き、冷静にその声の主も判断出来ないほど追い詰められた。
振り返ることも出来ないまま、千賀はぎゅうと目を瞑り「殺される」と感じた。
折角会えたのに守ることも出来ずに、このまま死んでしまう。
そんなことは絶対嫌だったのにどうしても身体を動かすことは出来なかった。
そのうちに肩をポンと叩かれて涙で濡れた目で千賀は反射的に振り返った。
千賀の視界に映し出された相手の顔。千賀は思わず口を開いた。
「…た、…」
見えた顔にとても安心してしまって、ぼろっ、と千賀の目からは涙が溢れる。
「おーい、太陽何して……って、千賀?」
千賀の肩に手を置いたままの太陽の後ろから翔央がやって来る。
おい何泣かせてんだよ、と翔央が少し眉を寄せながら太陽を見上げる。
俺泣かしてないよ、と太陽がちょっとだけ拗ねた顔で首を振った。
解けた緊張感に千賀の涙は止まらず、疑う翔央に太陽はますます焦るばかりであった。



「――これで、よし」
「…ありがとう…ございます」
その後千賀は二人に助けてもらいながら禁止エリアを避けて歩き、ようやく寂れた廃屋を発見した。
ガスも電気も水も通っていなかったが、そこは民家だったらしくわずかに傷の手当てが出来る道具は揃っていた。
裏手には井戸があり、そこで水をくみ上げ二階堂の傷口を清潔にする。
それはほとんど翔央がテキパキとこなし、千賀と太陽は手伝うだけに止まった。
「二階堂、大丈夫かなぁ…」
「大丈夫だよ。な、千賀」
太陽が不安そうに呟き、翔央がそれを打ち消す。
千賀は心配そうに眉を下げながらも、口元では笑みを浮かべて頷いた。
結局誰かに助けてもらった。一人では何も出来なかった。
そう思いながら千賀は未だ目を覚まさない二階堂をジッと見つめる。
「あ、ねぇねぇ井戸の水って飲めるかなぁ」
突然、思いついたように太陽が口を開き翔央を見る。
「さぁ…あんまり綺麗かどうか分かんないよ」
「でもさ、あった方が良いよね。俺たちのペットボトルもう空じゃん?」
最初に支給された水は僅かであり二人も千賀も、もうそのほとんどを消費していた。
太陽は鞄から空のペットボトルを取り出し、二人の分も頂戴と急かす。
「翔央、俺さ千賀と二人で汲んでくるよ」
太陽がぐっ、と千賀の手首を掴んで裏手に繋がる勝手口を指さした。
その掴む力が少しだけ強くて千賀はちらりと太陽を見上げる。
「おい、危ないって」
「だいじょーぶっ。大丈夫だから、翔央は二階堂の看病しててよ」
その言葉に強引さよりも彼特有の子供らしさのワガママを感じてしまい、翔央は少しだけ息を吐く。
「分かったよ。その代わり、すぐ行って帰って来いよ」
翔央に承諾して貰えば、喜ぶようにはしゃぎ太陽は千賀の手を引いて勝手口まで駆け足で進んだ。



後ろ手でパタンと勝手口の扉を閉めそこでようやく太陽は千賀の手を離す。
ほんの少し痕がついてしまうほど、握られた腕。
「…どうしたの、そんなに急いで」
掴まれた手の強さを千賀しか知ることはない。
「んー?」
上から僅かに見下げるように太陽は千賀に向けて笑顔を見せる。
(…太陽…?)
その笑顔がいつもと違うように感じて、千賀の心臓はまた少し震えた。



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