38. あまり肉の無い腕が鎌で切られて、咄嗟に何が起こったのか理解出来なかった。 ただ、熱い、と一瞬だけ感じる。 それからはヒリヒリと焼ける様な痛みと、生臭い血の匂いに嗅覚は侵される。 どろりとした液体が、身体を、服を、汚す。 (…え、…?) 見下げる位置に意志の強い瞳が在って、怯む。 山田の腕は微かに震えていた。その振動が、伝わる。 何故伝わるのかといえば、それは、山田も持っている鎌が皮膚に触れているからであった。 鎌、その先端は赤く濡れている。 ここでようやく不意をつかれて自分は切りつけられたのだと気づく。 止まることを知らずに血は流れ続ける。 次第に麻痺するようなその部分の感覚に、ぶるりと身体が震えた。 やまだ、と唇が動く前に鎌の持ち替えられる金属の音がした。 「ごめん、なさい」 「…ちょ、っと…待て、よっ」 「――死んで、二階堂君」 北山と別れた後、しばらく二階堂は泣き続けた。 光に追われる最中、自分よりも先に危険を伴い飛び出した北山をとめることは出来なかった。 一連の出来事に、自分は守られたのだと二階堂は感じた。そして無力さを味わった。 北山に、もう二度と会えないというのに、何も声をかけることは出来なかった。 自分のように何か目的があるわけでもないのに。たった一人で、あのとき北山は何を思い、飛び出したのだろう。 それを考えると二階堂は苦しかった。未だに千賀を探すことの出来ない自分に憤りも感じた。 そして、一人の時間は不安ばかりを生み出す。 はたして千賀は自分と会ってくれるのだろうか? 二階堂が千賀を探す。しかしそれは、勝手な行為でもあるのだ。 千賀はまだ二階堂の知っている「千賀」のままでいるのだろうか。 狭くなるエリアを放浪しながら、次第に二階堂はそのことばかりを考えるようになっていた。 変わってしまわない、なんてそんなこと言い切れる要素はどこにもなかった。 あんなに分かり合っていた心を失くしてしまうほど、いつしか自分は彼を遠ざけてしまったのだ。 (…でももし、あのとき「行くな」って言えていたら) でもそれを思ってももう遅い。 そして、その遅さは何もあの瞬間に限ったことではない。 もし会えなかったら、それを思うと二階堂の心はじくじくと痛みを覚えた。 それがどういう意味の痛みなのか、二階堂はまだ認めることが出来ないでいた。 「…ッ、ざけんなっ…って!!」 傷ついた腕をかばいながら二階堂は身を翻し、逃げるために一歩を踏み出した。 自分の武器は確認していない。そんな暇も余裕も、無かった。 山田の目は血走っており、いつもの山田ではなく、また二階堂が確認出来た中島はただこちらをぼんやりと眺めているだけだった。 走る中で二階堂は思う。 自分は、逃げてばかりだ。 光からも、北山からも、戸塚に塚田、自分を現実、…そして千賀。 強いふりはいくらでも出来た。でもそれはふりばかりで、いつだってまやかしで脆いものだった。 逃げることしか出来ない自分を否定しながらも、いつだって向かうことは躊躇った。 それはきっと自分が傷つくことだけを怖がったから。 自分が背を向けてからも、二階堂、と千賀は呼んでくれたのにずっと背中を向け続けた代償なのだこれは。 傷つくことが怖くないなんて、そんな人間は滅多にいないというのに。 (千賀は、ずっとどんな気持ちで、) どんな気持ちで、あの教室で最後に自分を見たのだろう。 確かに視線は向けてくれたのに、それすら伏せられて。 彼の目に自分は、最後にどんなふうに映ったのだろう。 あの自分が、俯くことしかしなかった自分が、最後の記憶になるなんて嫌だった。 絶対に嫌だった。 そう思った瞬間、二階堂自身がほとんど意識をせずに身体は動いた。 踏ん張るように足をとめ、くるりと身体を反転させる。 鎌を持った山田が襲い掛かってくる。刃が、身体を傷つける。 それでも二階堂は怯まなかった。もう、逃げようとはしなかった。 柄の部分手をかけ山田の自由を奪う。 二階堂は武器を持っていない。しかし体格差で言えば有利なのは明らかに二階堂であった。 くん、と力を入れれば山田はそれにつられるように動く。 定まらないように揺れる鎌の刃が二階堂の衣服を傷つけるが、それは取るに足らない傷であった。 「お前、誰かを攻撃したことないだろ」 「――!」 二階堂にあっさりと形勢を逆転されそうになれば、分かりやすく山田は動揺し始めた。 逃げなかったから。 逃げなかったから、大丈夫だった。 その感情が胸にぽっと明かりをともし、二階堂は興奮するように唇を歪めた。 「山ちゃんっ!」 後から追いかけてきた中島が二人の姿を見ると、すぐに山田を引き剥がすように二階堂を突き飛ばした。 思わず二階堂はよろけ、離れるが、武器を持たないことは代わりないのですぐに攻撃は出来なかった。 それでも強い瞳で二人を捕らえ、逃さないとする。 山田と中島は明らかに動揺したままで、二階堂の態度に萎縮しかける。 そして威嚇するように二階堂が一歩間合いを詰めれば、二人はびくっと身体を揺らし隙をつくようにしてバタバタと走り去っていった。 二階堂は追うことまではしなかった。 逃げたのは、自分を襲った彼らの方だったから。 「…、はっ…」 逃げなかった。 自分は、逃げなかったのだと、それを実感すると涙が溢れそうになった。 ――ねぇ、俺逃げなかったよ。 そう誰かに言いたくて、認めて欲しくて仕方がなかった。 けれども傷つけられた皮膚から血は止めどなく溢れる。 ふらりと二階堂が気を失いその場に倒れたのは中島と山田が去った直後であった。 next |